学苑長の、秘密の一部を紹介します

(その1)
学苑長の本名は半田晴久ですが、ペンネームが2つあります。画家や書家、宗教家、著述家の時は深見東州の名を使います。また、演劇人や詩人、俳人、歌人、小説家の時は、戸渡阿見(ととあみ)の名を使います。そして、本名の半田晴久を使う時は、パスポートを要求される外国での活動や、経済人や公益財団の代表、そして、大学教授として講義を行う時です。また、外務省や厚生労働省、東京都の後援をもらう外交や経済、医療などのサミットの時に使います。これは、後援をもらう官公庁からの要請です。
それ以外にも、FMのNACK5「レオナルドTOSHUの遊びがNight」という、人気番組がありました。学苑長がパーソナリティーを務め、「レオナルドTOSHU」のペンネームで出演してました。これは、ディレクターの要請により、ディレクターがつけた名前です。
学苑長は、ラジオのパーソナリティーを30年以上務め、AMやFMで6回番組担当をしました。現在は、毎週金曜の夜11時30分から、ラジオNIKKEI 第1で「深見東州のぜんぶ私の歌 ぜんぶ私の話」を放送中です。(現在は終了しています)
ところで、名前は1つの方が解りやすいですが、3つの名前を使うのは、2つの理由があるからです。
1つは、書店における販売対応のためです。学苑長は、34才から著述家としてデビューし、角川書店、扶桑社、学研、廣済堂、日本文芸社などから出版し、どの本もベストセラーになりました。その時のペンネームが深見青山で、後に深見東州となりました。著作は累計600万部以上売れており、あらゆるジャンルの著作は、280冊以上になります。また、出版社も0から創業し、30年間経営しておられます。
この出版社の、マーケティングで解った事があります。それは、どんな内容の本を書いても、ペンネームによって、置かれる書店のコーナーが決まる事です。
例えば、ビジネスや教育の本を書いても、深見東州のペンネームを使えば、精神文化や宗教書コーナーに置かれるのです。ギャグの本を書いても、そこに置かれます。そんな所に置かれても、ビジネスや教育に関心ある人の、目には触れません。目に触れなければ売れません。売れなければ、本を出す意味がないのです。そこで、3つのペンネームを使い分けると、内容にふさわしいコーナーに置かれます。書店とは、そういう所なのです。これが、第1の理由です。
第2の理由は、学苑長は(社)能楽協会に所属する、プロの宝生流能楽師だからです。能は、大学の頃からやっておられ、弟子は1000人以上居ます。そして、世界最大の能愛好会、宝生東州会を主催しておられるのです。ちなみに、能と能楽の違いは、能に狂言を加えたのが能楽です。
ご自身も、能楽師としてエジプトのスフィンクス薪能、カンボジアのアンコールワット薪能、国連やイギリスや中国、都庁前での「東京大薪能」など、先代の家元と共に、何度も演能しておられます。こうして、今までに43回シテを演じられたのです。
また、能楽の解説者としても知られます。中国の国立浙江工商大学日本文化研究所の教授として、日本人、中国人、外国人に解りやすく解説されます。学苑長は、それを英語でも楽しく解説できるのです。
学苑長の英語は、本当に美しくて流暢です。おまけに知性と品格があり、ギャグとユーモアにあふれます。オーストラリアの州立大学で、修士号を取得しただけでなく、同志社大学ESSのプレジデント(委員長)だったのです。そこでスピーチ、ディベート、ディスカッション、なんでもできたのです。だから、海外の要人を招くWSDのサミットなどで、司会やモデレーターができるのです。学苑長は、それを英語でもできます。
当時の同志社大学ESSは、400人の部員が居て、規模は日本一のESSでした。早慶、明治明学、立教青学のESSの、2倍近い部員が居たのです。そこで、学苑長はプレジデント(委員長)として、オールラウンドにできるNo.1だったのです。ギャグでも日本一と言われ、早慶のESSも、学苑長のギャグパフォーマンスが楽しみで、京都まで遠征に来たそうです。
無論、学苑長も大学2年、3年と東京遠征に来て、3年の時はプレジデントとして早慶や明治明学、日本女子大と対戦しました。その時の後輩が、現在の宮崎洋司先生や三浦佳一先生です。また、学苑長が英語を直接教えた、みすず学苑の1期生が亀山一哉先生なのです。
このように、学苑長は学生時代から「怒濤の英語」の使い手であり、ギャグのあふれる、みすず学苑のルーツだったのです。
また学苑長は、数学で有名だった「大道学園」という予備校に、2年間通ったのです。神戸にあった大道学園は、灘高生が浪人して行く予備校として知られ、卒業生の9割が国公立大に合格したのです。毎年、600人しか入学できず、3倍以上の倍率でした。当時は、灘高全盛時代であり、関東の駿台予備校に優る、圧倒的な日本一の予備校だったのです。学苑長は、そこで年間千題の入試数学を解き、2年間で2千題解いたのです。文系でしたが、全員数Ⅲまで解いたそうです。
みすず学苑は、怒濤の英語が有名ですが、実は数学にも定評があるのです。それは、学苑長が入試数学に精通してるからです。
しかし、学苑長は不運にも、第1志望の国立大学に落ち、数学に関係のない同志社大学経済学部に進学しました。この時の屈辱感や挫折感をバネに、それ以後46年間の人生を、人の百倍勉強する事を喜びとし、明るく面白く生きておられるのです。
これが、みすず学苑の指導方針となり、学苑長の失敗と反省から、数多くのノウハウが生まれました。66才になっても、1日も怠らず学び続け、それを喜びとする学苑長です。文系ではあっても、理系以上に論理的です。だから、英語のディベートやディスカッションも得意なのです。
これらは、受験勉強で培った精神や頭脳によるものです。2千題の入試数学は、無駄ではなかったのです。そこから、大学時代に才能を開花させ、社会に出て益々磨きをかけておらるのです。
また、学苑長は(社)日本ペンクラブの会員ですが、文学に目醒めたのも受験期なのです。
だから学苑長は、「自分のルーツは受験期に築かれた」と確信しています。それで、受験生をこよなく愛し、浪人生を一層愛し、「志を持って励めば、成功しても失敗しても、全ては一生の糧になる」と、激励するのです。

 

(その2)
ところで、能楽の話題に戻りましょう。
学苑長は、国立浙江大学の博士論文も、能「石橋(しゃっきょう)」に出て来る「寂照(じゃくしょう)」や、「奝然(ちょうねん)」「成尋(じょうじん)」などの、「入宋僧(にっそうそう)の研究」だったのです。この論文が高い評価を受け、学苑長は中国で3番目のランクの国立浙江大学の博士号を取得しました。その前に、1番ランクの高い国立清華大学で、日中の美術史や、美術市場に関する論文で博士号を取得しています。それだけ、学術においても優れ、能楽に深くかかわる能楽師なのです。だから、能面をつけ替えると、その役柄になり切れるのです。
同じように、ペンネームを使い分けると、様々な分野の役柄になり切れます。その方が、あらゆる分野の創作がやりやすいのです。ペンネームには、そのキャラや世界があるからです。
かなり横道にそれましたが、これが、3つのペンネームを使う第2の理由なのです。
しかし、学苑長はあらゆる活動の中で、みすず学苑の学苑長を一番長くやっています。26才から66才まで、40年間もやってるのです。そして、受験生をこよなく愛し、大切にしてるのです。だから、みすず学苑では、「学苑長」がペンネーム化しています。名字が「学」で、名前が「苑長」のようなのです。皆さんも、西荻窪で見かけたら、気軽に「学苑長」と呼んで下さい。お願い致します。

(2018年当時)